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メディアとテクノロジーの交差点

Vice Mediaの創業、そして成功を捨ててニューヨークに渡った1999年のユニコーン前史の話

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ここ数年、Vice Media(以下Vice)の動きについてメディアでもかなり取り上げられることも多いと思うのですが、創業期ってどんな感じなのかなっていつも気になっていたんですね。もともとはフリーペーパーだったということは知っている人は多いと思うのですが、具体的にどういうメディアだったのかとか、どういう風に事業を拡大させていったんだろうとか、そもそもどうしてフリーペーパーをやろうと思ったのか、そういう話ってあんまり聞かないんですよね。というよりも、そもそもメディアの創業ストーリー自体が世の中に殆ど出てこないんですよね。私が知っている限り「メディア界に旋風を起こす男 ブルームバーグ」と「ビジネスはロックだ! 伝説のMTVトップが明かすグローバル経営の成功法則」くらいしか読んで面白い話はありません。

そんな時に、たまたま1999年当時のViceを取材したドキュメント番組をYouTubeで発見したので(後述)、これを機に1994年の創業から2000年くらいまでのViceの動きを、分かる範囲でちょっとまとめてみたいなと思いますよ。

 

はじめに、Viceについて語る時、何かとShane Smithばかり注目されがちですが、源流を辿るとむしろSuroosh Alviに言及しなければ何にも始まらないということが分かります。Viceの創業者はSuroosh Alvi・Shane Smith・Gavin McInnesの3人なのですが(Gavin McInnesはその後Viceを辞めて、今は共同創業者として名前も載っていませんが)、もともとはSuroosh Alviが他の二人を巻き込んだことから始まるんですね。そんなことも含めて、ちょっと調べながらまとめていきたいと思います。

 

パンクロックに傾倒したSuroosh Alviが雑誌をつくるまで

 上写真はVice MediaのCo-FounderのSuroosh Alvi

 

Suroosh Alviは1969年生まれ。パキンスタン系カナダ人であり、父親はUniversity of Torontoでカウンセリング心理学の教授を、母親はMcGill Universityで南アジアのイスラム教を研究する歴史学者でした。80年代初頭、母親がUniversity of Minnesotaで教えるため、Suroosh Alviも母親に付いてミネアポリスに引っ越します。当時はHüsker DüやThe Replacementsなどの全盛期。彼自身レコードレーベルでバイトをしていたこともあり、これがきっかけでパンクロックに傾倒していくことになります。パンクロックの雑誌をやろうと思う発端は、こんなところにありました。

Suroosh Alviは91年にモントリオールのMcGill Universityで哲学を学び、その後1年英語を教えるためにスロバキアに渡ります。そしてトロント大学で心理学の修士号を取得するためにカナダに帰国、モントリオールに戻ってヘロイン中毒のリハビリ中にパンクロックの無料の雑誌をつくることを思い立ちます。

しかしすぐにこのアイデアに欠陥があることに彼は気づいてしまいます。Suroosh Alviはそもそも編集の経験がなく、誰も仕事を与えてくれなかったのでした。加えてモントリオールは住民の大半がフランス系で、第一言語もフランス語。そのため、90年代初頭はフランス語が上手く話せないような人は、メッセンジャーか行政がらみの仕事にしか付けなかったそうです。

 

職業訓練の一環で立ち上がったVoice of Montreal、そしてViceへ

しかし1994年、ハイチの非営利組織であるImages Interculturellesが展開する職業訓練(welfare-to-work)の一環で、どういうわけか新しく英語の出版物を立ち上げるという話を聞きつけて、編集経験が皆無だったSuroosh Alviが手を挙げて任せられることになります。そして1994年10月に出来たのが今の「Vice」の起源となる「The Voice of Montreal」でした。ちなみに初号の巻頭インタビューはThe Sex PistolsのリードヴォーカルだったJohnny Rottenでした。

Gavin McInnesは初号ではコミックを担当し、2号目からアシスタントエディターとして関わるようになり、そして数号発行した後にGavin McInnesの提案で営業経験が多少あるShane Smithに加わってもらうようになります(ちなみにGavin McInnesとShane Smithは12歳からの知り合い)。そして「The Voice of Montreal」の名前を「Voice」に改称します。3人はパンクロックやドラッグについて書き連ねては、カナダ中のレコードショップや洋服屋・スケートボードのショップなどでフリーペーパー(雑誌というよりもタブロイド誌のような体裁)を配布、徐々に人気を博していきます。

しかしその後パブリッシャーと編集方針で揉め、結果として3人は1996年に「Voice」の事業を買い取ることになります。そして、これがきかっけとなって、「Voice」の”o”を抜いて「Vice」に改称します。(これはある種の冗談で、実際にはニューヨークの「Village Voice」と雑誌と商標で揉めていたという話もあったみたいですが)

この時、3人は親からそれぞれ5000ドルずつ借り、モントリオールに新しい別オフィスを作り、トロントに広告営業をしながら引き続き編集・出版を続けていくわけですが、その後どこに配布しても100%持ち帰ってもらえるほど、カナダの若者(特に10代)から絶大な支持を得るに至り、誰もが知る存在となります。

 

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photo by vice.com

 

嘘から出たまこと、Viceの資金調達と世界展開

1998年、絶頂だったViceのShane Smithはインタビューで、モントリオールでソフトウェア会社を起業して大成功をおさめたRichard Szalwinski(Behaviour Publishing・Normal Networks・Discreet Logicなどを創業)がViceを買収したがっていると嘯くのですが、これがきっかけでRichard SzalwinskiがViceの株式を本当に25%取得することになります。「嘘から出たまこと」とはまさにこのこと。その時の時価総額は400万ドル、今思えばバブル以外の何者でもないのですが、デューデリジェンスも何もしないで決まったそうです。

そしてこの調達を機にViceはモントリオールの成功を捨てて、世界のメディアブランドになるためにニューヨークのマンハッタンへと拠点を移し、多角的な事業展開をしていきます。ちょうどその前後を捉えたドキュメンタリー動画がこれです。ちなみにRichard Szalwinskiが株式を保有していた「Shift」という雑誌(カナダのWiredみたいな雑誌みたいです)も、この時一緒にマンハッタンに行くことになります。

 

この動画はカナダのライフネットワークで1999年に放送されたドキュメント番組。ディレクターのLisa Gabrieleは、Viceのライターとして数年関わり、その後にこの番組を撮っているのですが、当時の様子がよく伝わってきて実に興味深いです。ニューヨークでロフトを探し、そこへ引っ越すまでの間に行われたインタビューで構成されているのですが、冒頭からShane Smithの無邪気さが、なんとも言えません。この動画について言及している日本語のブログやメディアが殆どないので、自分もその存在を知りませんでしたが、一見の価値があります。

 

"Vice is done in Canada, we're never going to get more successful than we are, there's no challenge,"

カナダはやりきった。これ以上成功は見込めないから、挑戦もない。

"New York, we're nothing, you have to start all over again."

ニューヨークでは私たちは何者でもない、出直さなければならない。

 

インタビューの中でShane Smithは勇んでこう語ります。一方親近感が湧くのが、全てを捨ててニューヨークで挑戦することに大きな不安を抱いていたということを伺えるところです。Gavin McInnesは動画の中でこういう風に語っています。

 

"I'm scared of having to be poor there,”

貧乏に戻るのが怖い。

"Or another brutal nightmare would be having to move back, coming back here with our tails between our legs."

或いはもう一つの残酷な悪夢はカナダに戻ること、ニューヨークからしっぽを巻いて逃げ戻ることだ。

 

モントリオールでは、どこに言ってもチヤホヤされていた3人が、ニューヨークに移るなりプレッシャーに押しつぶされそうになる。Gavin McInnesは背中に謎の蕁麻疹ができ、Suroosh Alviは髪が抜けて、Shane Smithは星が見えたと言う。この3人でも当たり前ながら不安と緊張があったんだなと思うと、数多あるスタートアップと同じように、色んな課題を乗り越えていったんだなということが明確に分かります。当たり前ですが、いきなり成功したわけではないんですよね。

ちなみに事業をスケールさせるためにマンハッタンに拠点を移して以降、Viceはストリートファッションを売る実店舗をトロント・ニューヨーク・ロンドンに展開、若者から絶大な支持を得てどんどん成長していきます。そしてRichard Szalwinskiのもと、収益化よりも何よりも事業拡大を最優先して、とにかく前だけ向いて全速力で走り続けます。しかしドットコムバブルが崩壊。残ったのはなんと500万ドルの借金でした。3人は2000年にRichard SzalwinskiからViceの権利を買い戻し、実店舗も閉めて、借金を精算し、家賃2万ドルのマンハッタンのロフトからブルックリンの倉庫に移ることになります。結果として、このことで収益がかなり改善されることに。ただ、この2年は地獄だったとSuroosh Alviは後に語っています。

しかしコンフォートゾーンから抜け出したことによって、その後の成長は、みなさんのご存知の通りの展開になるわけです。実に面白いですね。

ちなみに、その後Tom Frestonとの出会いが、更なるPivotalなポイントになるわけですが、それは以前書いたので、こちらを読んでみてください。

事実は小説よりも奇なり、とはこのことですね。

 

Uncommon reading material : McGill News

Vice Goes Global | Ryerson Review of Journalism :: The Ryerson School of Journalism